

第4回 「勝つ」ということ(Text by 鈴木哲夫) |
![]() 2つめは98年の川崎市の秋季大会の決勝戦(少女の部)の風景です。 この年、ウィングスの少女チームは全国大会で準優勝という偉業をなしとげましたが、市内、県内を含め、ほとんどの公式戦で負けなし状態でした。 全員がそれなりの技術を持ってはいるのですけど、特に当時5年生の宇津木恵美と4年瑠美の姉妹が素晴らしく、恵美の場合、5年生であるにもかかわらず6年 生の県選抜の中に入っても十分以上にゲームメイクをしてしまうというMFで、妹の瑠美も、4年生とは思えない技術とスピードでウィングスの得点の7割を叩 き出しておりました。(二人とも今は日テレ・ベレーザの下部組織であるメニーナに所属しており、先日の全国大会でも優勝に貢献していました(^◇^;) ウィングスに勝ちたければまず、この2人を抑えないと試合にならない、というのは市内(県内)のチームには知れ渡っており、大会でも上に行けば行く程、彼女達へのマークはきつくなっておりました。 で、その年の市秋季大会(松村杯)、決勝戦。相手は県大会でも上位に顔を出した事のあるエルマーナ野川。若手のコーチが指揮を取り「勝つため」の戦術で試 合に臨んで来ました。つまり、恵美と瑠美に徹底的なマンマークを付けて、どんな時でも、どこへ行ってもぴったりと影のようについてきて、フリーで恵美と瑠 美にボールを持たせないようにした訳です(^^;。 「勝つ確率」を高めるためにはまったく正しい選択で、彼女達2名が抑えられるとウィングスの攻撃力は半減します。で、その戦略は見事に的中しました。 どこへ行こうが、攻めている時も守っている時も、常に横に体の大きな6年生が居る訳ですから、どんなに能力がある子供でも所詮4年生、5年生です。試合の中で完全に「消されて」しまいました。 ただ、相手もそれなりに上手な子供を2名、完全マンマークに付かせており、攻撃と言ったらセンターフォワードの子供(この子は足が早く、能力も高い)にカウンターでロングボールを配球して「行って来い!」しかパターンがないという状態に陥りました。 まぁ、試合は「それ以外」の子供達の総合能力はウィングスのほうが上でしたので、楽勝とは言いませんが、それなりの点差で勝ちました。ただ、その試合を見 ていて、何か暗澹たる気分になったのです。あの、恵美、瑠美を40分間ずーっとマークしていた相手の子供は、試合を楽しめたのだろうか?「優勝」という喜 びを得るために、コーチの指示に従いひたすら相手のエースを潰すために動き続けた子供達に「楽しさ」というのはあったのだろうか?もし、相手チームが勝っ ていれば、その「辛い努力」も「喜び」に変わっていたのかもしれませんが、それで良いのだろうか? 試合後恵美は「悔しい!」と言って涙を浮かべていました。6年生の、体が一回りも大きい選手に密着マークされ、思い通りのプレーが全然出来なかったのですから、彼女にとってみても「楽しくない」試合だったのです。 「上手になればなるほどそういった事はあるのだ」「密着マークされてる中でも自分のプレーが出来るようにならないとね」・・・涙を浮かべている恵美にそんなありきたりの言葉をかけてあげたのですけど、釈然としない気持ちは残ります。 「チャンピオンシップ」を決める為の試合である以上、相手の良い所を抑える戦略というのは当たり前のものではあるのですけど、「個人の楽しさ」と「チームの喜び(勝利)」について改めて考えさせられた試合でした。 ・・・この2つの風景、皆さんはどのように考えられますか? この2つの試合において、子供達は(優勝したけど)決して楽しくなかったのです。 何故このような事が起きてしまうのでしょうか? 両方とも「勝てば(子供達も)嬉しいはず」「チームの勝利がすべてに優先」という大人(指導者)の論理が子供達から楽しさを奪ってしまったと私には思える のです。「勝つための戦術」というのは時に選手の個性や意志を排斥する形で実現されることがあります。チームの勝利のために自分が犠牲になる、あるいは与 えられた役割に徹する、という精神は団体スポーツにおいてはある意味必須の概念ではありますが、それをいつから教えるのか、というのは本当に難しいことだ と思っています。多分、チームにより、指導者の考え方によりそれぞれ答えが違ってくるでしょう。 ただ、小学生年代のスポーツが「楽しさ」を追求し、子供達一人ひとりののこれからの可能性を広げてあげることを目的としているのであれば、こういった 「チーム至上主義」「勝利至上主義」を小学生年代から強制して行くのはきっと間違っているのではないかと思います。 どんな試合でも、勝った時にはみんなで単純に大喜びできる。 ・・・簡単そうで実は凄く難しいことなのです。そして、それができるかできないかはきっと指導者が「何を目的に」子供達に試合をさせているのか、によるのだと思います。 |
