第4回 「勝つ」ということ(Text by 鈴木哲夫)
「勝つこと=楽しみ??」という命題を考える時、私がいつも思い出す2つの風景があります。
この話しは結構いろいろなところで書いているのでご存じの方もいらっしゃると思いますが、1つ目はもう6〜7年前の、県の少女サッカー大会の決勝戦の話です。

この大会は毎年夏に行われるトーナメント方式の大会で、私は協会役員兼審判としてその決勝戦の副審(当時はまだ線審と言っていました)をしておりました。
試合はかなり拮抗した戦いとなり、0−0のまま延長に入りました。ベンチからはかなり大きな声で指示や叱咤の声が飛んでおり、子供がミスをすると「何やってんだ!やる気がないならやめちまえ!!」というような、とんでもない声も飛んでおりました。
延長戦に入り、「叱咤激励(^^;」の声を飛ばしていたチームが先取点を取り、そのまま逃げ切り優勝しました。

・・・ここまでは、良くある風景なのですが、問題は試合終了となり、両チームの選手がハーフウェイラインに戻って来る時に、その勝ったチームの子供達が誰一人として喜んでおらず、全員うつむいたまま、トボトボと戻って来た事なのです。

確かに、真夏の決勝戦で、しかも2試合目で延長戦突入という「ハードワーク」であった事は事実です。でも、本当に「楽しければ」どんなに疲れていたって子供達は大騒ぎして嬉しそうに抱き合ったり泣き出したり(^^;するものです。

「この子達は本当にサッカーを楽しんでいるのだろうか?」

・・・確かに彼女達は「勝ち」ました。でも、決して楽しんではいなかったと私には思えて仕方ありません。この年、このチームは関東大会、全日本大会にも優勝しました。「勝つこと=楽しみ」という方程式が常に成り立つのならば、彼女達ほど「楽しんだ」子供達はいないはずです。
しかし、あの、真夏の大会で見せた彼女達の疲れ果てた顔を思い出す度に、どんな事があっても子供達にあんな顔をさせるような指導をしてはいけない、と強く思います。「勝つこと」は子供達を育てる上での「手段」であり、決して「目的」ではないはずです。

こういった事例(?)は極端なのでしょうか?・・・でも「勝つこと」に対して究極の姿(全日本優勝とか・・・)を求めると、この事例のようにならないと言い切れるのでしょうか?

・・・余談ですが、この年、このチームは年間100数十試合行い、1敗しかしなかったそうです。唯一黒星を付けたのがウィングスの少女チームで、その後、目の敵にされ、いろいろな大会で顔を合わせる度にボコボコにやられました(^^;

2つめは98年の川崎市の秋季大会の決勝戦(少女の部)の風景です。
この年、ウィングスの少女チームは全国大会で準優勝という偉業をなしとげましたが、市内、県内を含め、ほとんどの公式戦で負けなし状態でした。
全員がそれなりの技術を持ってはいるのですけど、特に当時5年生の宇津木恵美と4年瑠美の姉妹が素晴らしく、恵美の場合、5年生であるにもかかわらず6年生の県選抜の中に入っても十分以上にゲームメイクをしてしまうというMFで、妹の瑠美も、4年生とは思えない技術とスピードでウィングスの得点の7割を叩き出しておりました。(二人とも今は日テレ・ベレーザの下部組織であるメニーナに所属しており、先日の全国大会でも優勝に貢献していました(^◇^;)

ウィングスに勝ちたければまず、この2人を抑えないと試合にならない、というのは市内(県内)のチームには知れ渡っており、大会でも上に行けば行く程、彼女達へのマークはきつくなっておりました。

で、その年の市秋季大会(松村杯)、決勝戦。相手は県大会でも上位に顔を出した事のあるエルマーナ野川。若手のコーチが指揮を取り「勝つため」の戦術で試合に臨んで来ました。つまり、恵美と瑠美に徹底的なマンマークを付けて、どんな時でも、どこへ行ってもぴったりと影のようについてきて、フリーで恵美と瑠美にボールを持たせないようにした訳です(^^;。

「勝つ確率」を高めるためにはまったく正しい選択で、彼女達2名が抑えられるとウィングスの攻撃力は半減します。で、その戦略は見事に的中しました。
どこへ行こうが、攻めている時も守っている時も、常に横に体の大きな6年生が居る訳ですから、どんなに能力がある子供でも所詮4年生、5年生です。試合の中で完全に「消されて」しまいました。
ただ、相手もそれなりに上手な子供を2名、完全マンマークに付かせており、攻撃と言ったらセンターフォワードの子供(この子は足が早く、能力も高い)にカウンターでロングボールを配球して「行って来い!」しかパターンがないという状態に陥りました。

まぁ、試合は「それ以外」の子供達の総合能力はウィングスのほうが上でしたので、楽勝とは言いませんが、それなりの点差で勝ちました。ただ、その試合を見ていて、何か暗澹たる気分になったのです。あの、恵美、瑠美を40分間ずーっとマークしていた相手の子供は、試合を楽しめたのだろうか?「優勝」という喜びを得るために、コーチの指示に従いひたすら相手のエースを潰すために動き続けた子供達に「楽しさ」というのはあったのだろうか?もし、相手チームが勝っていれば、その「辛い努力」も「喜び」に変わっていたのかもしれませんが、それで良いのだろうか?

試合後恵美は「悔しい!」と言って涙を浮かべていました。6年生の、体が一回りも大きい選手に密着マークされ、思い通りのプレーが全然出来なかったのですから、彼女にとってみても「楽しくない」試合だったのです。
「上手になればなるほどそういった事はあるのだ」「密着マークされてる中でも自分のプレーが出来るようにならないとね」・・・涙を浮かべている恵美にそんなありきたりの言葉をかけてあげたのですけど、釈然としない気持ちは残ります。

「チャンピオンシップ」を決める為の試合である以上、相手の良い所を抑える戦略というのは当たり前のものではあるのですけど、「個人の楽しさ」と「チームの喜び(勝利)」について改めて考えさせられた試合でした。
・・・この2つの風景、皆さんはどのように考えられますか?

この2つの試合において、子供達は(優勝したけど)決して楽しくなかったのです。
何故このような事が起きてしまうのでしょうか?
両方とも「勝てば(子供達も)嬉しいはず」「チームの勝利がすべてに優先」という大人(指導者)の論理が子供達から楽しさを奪ってしまったと私には思えるのです。「勝つための戦術」というのは時に選手の個性や意志を排斥する形で実現されることがあります。チームの勝利のために自分が犠牲になる、あるいは与えられた役割に徹する、という精神は団体スポーツにおいてはある意味必須の概念ではありますが、それをいつから教えるのか、というのは本当に難しいことだと思っています。多分、チームにより、指導者の考え方によりそれぞれ答えが違ってくるでしょう。
ただ、小学生年代のスポーツが「楽しさ」を追求し、子供達一人ひとりののこれからの可能性を広げてあげることを目的としているのであれば、こういった「チーム至上主義」「勝利至上主義」を小学生年代から強制して行くのはきっと間違っているのではないかと思います。

どんな試合でも、勝った時にはみんなで単純に大喜びできる。

・・・簡単そうで実は凄く難しいことなのです。そして、それができるかできないかはきっと指導者が「何を目的に」子供達に試合をさせているのか、によるのだと思います。

 戻る